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第102話  解雇辞令

Author: marimo
last update Last Updated: 2026-02-12 20:10:19

 スポンサー側からの「アークライト社に不安材料がある」という声は、想像以上の速度で広がっていた。フェス運営の信頼に関わる噂は、関係企業の会議や電話の端々に混ざり込み、ついに天ヶ瀬昴の耳にも届いた。年始特有のゆるんだ空気は、いつの間にかピリついた危機管理の空気へと変わっている。

 昴は動いた。即座に、迷いなく、躊躇なく。

 アークライト社の役員の一人を、オーロラ社ビルへ呼び出し、応接会議室の中央席に座らせた。座らせたというより、招かれた側が“尋問席”に案内されたような構図だった。

「その、城里茜という社員は、どういった仕事を担当しているのですか?」

 昴の声は冷静だった。感情ではなく論理で切り込む声。だがその静けさの奥に、会社を守る男の剣のような鋭さが潜んでいる。

 オーロラ社の役員はハンカチを取り出し、額とこめかみの汗を拭った。スーツの襟元もわずかに湿っている。暖房のせいではない。精神の圧力だ。

「御社の仕事には関わっておりません。城里は主に、『黒川アルアセットグループ』の担当をしております」

「なるほど」

 昴は腕を組んだ。指先を軽くトントンと叩きながら、目線を落とさず役員を射抜く
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